大東亜戦争の終戦の日の8月15日、日本に平和は戻っていません。
それ以降も、ロシアや朝鮮、韓国人による悪行は続きました。
大東亜戦争で日本が敗れた時、
台湾では多くの日本人と台湾人が、涙を流し合いながら別れを惜しみました。
戦争の反対が平和というのであれば、
まさに、台湾における、その時の状態は終戦と言えるでしょう。
簡福源さんは、
「なぜ僕らも帰らないのとおじいさんに聞くと、
『内地の人とは違う』と言われた」
「ああ僕は日本人じゃなかったのか」と初めて実感したそうです。
簡さんはこの思い出を語るたび涙ぐんだと言います。
それほど日本人意識が強かったのです。
このような台湾人は数多くいるのです。
しかし、朝鮮半島では全く状況が違っていました。
キムワンソプ氏
「日韓併合時代、
朝鮮に
普段から人情に厚かっ
食事の用
和夫は近くに行き場の
その数は一人、二
私設
けれども、和夫夫婦は
自ら喜
このように
しかし、彼らは、日本
自分たちが育てた
その日、彼がわが子の
斧と鍬、スコッ
間髪入れず鍬が、和夫
数多
このとき、和夫の妻が
それまで黙っていたC
庭の奥まったところ
ほんの一週間
(キム・ソンス君は、
自分も殺され
そして彼女は集団強姦
彼女の全身を
和夫さんには「ひみこ
ひみこは、
気が触れて
近所の住民は眠れな
食べ物乞いに村を
結局、ひみ
ひ
大切に
村人達の沈黙
と当事であるキム・ソンスの証言が知るさています。
朱栄福さんは著書「朝鮮戦争の真実」において、
「窓も門も開け放しのまま去った日本人の空き住宅、商店、倉庫等に
アリのように人間が群がった。家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、
靴、傘、書籍、自転車、あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。
町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。皆走る、ぶつかる、ののしる、
宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。
引揚げの惨事は北朝鮮だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国)においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。
北と南に民族性の違いはないのである」
と記しています。
8月15日以降、このように虐殺され、強姦された日本人が
数多くいた事は史実です。
戦争の反対が平和とするのであれば、
8月15日が戦争が終わった日とは言えないと思うのです。
転載元
http://ameblo.jp/create21/entry-10321579689.html#main